長崎教会の主日第一礼拝、メッセージです。ヨハネの福音書9 章 1〜7節より語られています。生まれつきの盲人の癒しの聖書箇所です。
「イエス様はどこかへ向かう途中で盲人の男に目を止められました。暇だから目を向けて立ち止まられたのではありません。
私たちも忙しさにかまけずに見を向けるべき人たちの前に、心を配るべき人たちの前に立ち止まりましょう。
盲人は本人かその両親が罪を犯した結果であるというのが、当時のイスラエルの人々の共通認識でした。しかしイエス様は『この人の目が見えないのは神のわざがこの人に現れるためです』と言われました。目が見える人には出来ない神の恵みを体験するためだと言われたのです。
この言葉に、盲人の男の心は震えたと思います。目が見えない人だからこそ見えるものがあるのです。
イエス様の愛は力強いのです。イエス様のことばは力強い希望です。
イエス様は地面につばきをして、そのつばきで泥を作られ盲人の目に塗られました。この盲人は、自分で歩きシロアムの池に行き、洗いました。イエス様のことばをかたく信じ従いました。『行って洗いなさい』とのことばを受け、目が見えるようになる事を確信したのです。
私たちも神のことばを受けた時には、信仰の大人として応答しましょう。
その時に神のわざが現れるのです。」
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